金沢大学ナノ生命科学研究所の市川壮彦特任助教,福間剛士教授,ナノ生命科学研究所/がん進展制御研究所の大島正伸教授らの共同研究グループは,一般的に細胞や組織を固定するために使用されている化学固定剤(以下固定剤)(※1)が細胞表面の膜タンパク質を凝集させて20 – 100ナノメートルのクラスターを形成することを原子間力顕微鏡(AFM)(※2)と新たな細胞表面観察技術を用いて明らかにしました。
固定剤は,生きている状態に近い状態で細胞や組織の構造を保持するために一般的に使用されている薬剤です。固定剤がタンパク質の架橋や凝集を起こすことを考えると,細胞表面である程度自由に動き回る膜タンパク質が固定剤により凝集しナノスケールの擬似的なクラスターを生じることで共局在解析等に影響を与える可能性が指摘されています。それにもかかわらず,この問題については,これまで細胞表面の構造をナノスケールで観察する方法がなかったためほとんど研究が行われていませんでした。本研究では,AFMと多孔窒化シリコン薄膜(※3)を用いて,細胞表面を安定かつ高分解能で観察する方法を開発しました。そして,一般的に用いられる3種類の固定剤で処理するといずれも細胞表面の突起の大きさが増大することを示し,これらの突起サイズの増加は固定剤による膜タンパク質の凝集によって生じたものであることを明らかにしました。
これらの知見は,固定剤を用いて固定された細胞表面をナノスケールで観察する今後の研究に注意を喚起するものになります。
本研究成果は,2022年5月20日午前10時(英国時間)に英国科学誌『Communications Biology』に掲載されました。
図1.多孔窒化シリコン薄膜を用いた新しいAFM用生細胞膜観察技術。(a)多孔窒化シリコン薄膜の外観。(b)AFMで観察した多孔窒化シリコン薄膜。(c)観察用チャンバーにセットした時の様子。(d)多孔窒化シリコン薄膜を用いたAFM細胞表面観察の模式図。
図2.生細胞及びグルタルアルデヒド,パラホルムアルデヒド,メタノールでそれぞれ処理した後のAFM細胞表面の観察。それぞれ左がAFM像,中央はAFM像に突起部分を枠で囲んだ図,右は左図の点線部分に沿った高さのプロファイル。
【用語解説】
※1 化学固定剤
タンパク質同士を化学的に架橋または析出することによって生きている時に近い状態で構造を保持する薬剤。固定後も免疫染色等を行うことが可能であり現在多くの研究で使用されている。
※2 原子間力顕微鏡(Atomic Force Microscopy: AFM)
鋭く尖った探針で固体表面をなぞることで,その表面形状を観察することのできる表面分析技術。液中で原子や分子を直接観ることのできる顕微鏡技術。
※3 多孔窒化シリコン薄膜
透過型電子顕微鏡のサンプルホルダーとして用いられる直径3–5 マイクロメートルの小孔が多数空いた薄い膜。膜の厚さは100 – 200 ナノメートル。