世外に心を澄ます
12月某日,還暦を迎えた高校時代の仲間が華甲の茶事に集った。亭主は同期で茶人のY氏。茶席の休祥庵は街中とは思えない静かな佇まいであった。気忙しい年の瀬である。アフガンの戦火が日々伝えられ,国内にあっても何かと騒がしい。亭主のもてなしは世俗を忘れさせ,心を和ませる。
酒と料理が進む頃,恩師のT先生が一首詠まれた。
時運徒聞熢火酣
澄心世外盌中参
当年故旧今華甲
嗜茗遊嬉歳晩庵
逸無斎
耳を傾けながら,あれこれと一年を振り返る。本学で次々に起きた出来事もまた時運であり,徒に聞く熢火(ほうか)ではなかったか。そして,これらを世外のこととし,静かに盃を重ねた。
国立大学そして本学にとって,いよいよ今年は正念場となろう。法人化が間近に予想される中で,大学の再編?統合は加速されるであろうし,教員養成課程の問題も予断を許さない。トップ30など,評価にもとづく競争原理も動き出しつつある。大学改革が酣(たけなわ)となる中で,大切なのは流れに乗って自分を見失わないことであり,そのために自らの基盤を強化することである。
グローバル化が一段と進む時代である。人材の育成においても,知の創生においても国際的に通用することが求められ,その一方で地域との密着が問われている。社会に対する大学の開放は,大学が地域に根ざし,個性的な情報を世界に向けて発信するうえで必須となっている。日本海側に位置する北陸の地域や,そこでの学術文化の中心となる大学は,これまで比較的ゆっくりした流れの中で質の高いクリエイティヴィティを発揮してきた。しかしこれからは,人?物?情報が激しく往き来する中で個性を打ち出していかねばならない。開放が過去の淀みを吹き出させることになれば,これもまた時運であろう。
元旦の朝,近くの椿原神社に初詣に出掛け,そのまま崖沿いに散歩の足を伸ばした。途中,小立野台地を切り開いてできた新道を見上げ,とどまることのない人為を覚えるが,これは宝町と角間のキャンパスを結ぶ主要なルートである。鶴間坂の手前あたりで金沢市指定の保存林に立ち寄る。崖には朱色に熟した烏瓜がぶら下がり,雪に覆われた藪の中から赤い実が顔を出していた。山茱萸(さんしゅゆ)の蕾はまだ固いが,蝋梅(ろうばい)は早くも香気を漂わせていた。
グローバル化は人間の行動を拡大し,時の流れを早めている。しかし,自然は確かな刻みで移ろいでいる。グローバル化に翻弄され,本来(自然)の流れを忘れるようなことがあってはならない。改革は急がねばならないが,渦中に呑まれて本質を見失ってはならない。Festina lente。ゆっくり急ぐことこそ大切であり,そのためにも世外に心を澄ましたいものである。お茶席は足が痺れるので苦手だが,さいわい本学のキャンパスには静かで大きな自然がある。今は雪に覆われているが,やがて学内の動きと呼応して,土中で虫が蠢(うごめ)き草木が萌動することだろう。