オーストラリア国立大学
2022年度 オセアニア〈オーストラリア〉
A.S.(人間社会学域国際学類 4年)
はじめに
私は2023年2月から11月まで約10か月間、オーストラリアの首都キャンベラにあるオーストラリア国立大学(以下ANU)に留学していました。私が留学先をANUに決めた理由は主に次の2点です。まず、オーストラリアは英語圏で唯一の春募集の対象国だったからです。私はサークル活動も留学もどちらも諦めたくなく、主幹学年であった2年次の全国大会をやり切ってから留学準備に取り掛かりたいと考えていました。春募集があったおかげで理想のスケジュールを組むことができました。2つ目に、ANUは国内唯一の国立大学であり、オーストラリアにある金沢大学の協定校の中でトップの大学と考えられたからです。特に、ANUにはアジア太平洋学部という特殊な学部が存在し、太平洋島嶼域に対する開発援助や今後の持続可能な発展について集中的に学ぶ環境があります。私は開発経済学ゼミに所属しているのですが、開発を学ぶにあたり、金沢大学では経済学ベースで、ANUでは人類学ベースで、というように多様な角度から途上国を知り、開発援助を考えるのも面白そうだと感じました。
留学前の準備
留学準備として、1年次のGS科目から英語科目を積極的に履修していました。レポートを書く際には英語でのエッセイの書き方の基本を学べ、経験を積むこともできます。また、長時間の英語のリスニングに集中する練習にもなります。金沢大学の英語科目の先生方は、英語学習者である学生が聞き取れるようにゆっくり話してくださるので、入門編として気軽に受講してみてください。
一方で、留学が始まってからは、日本とオーストラリアや太平洋島嶼域の歴史的なつながりや戦時中の侵攻、支配など負の影響についてもっと勉強しておくべきだったと痛感することが度々ありました。私が履修した島嶼域の開発援助についての授業では、まず太平洋諸国のそれぞれの歴史から勉強しました。その際に、日本が侵攻したソロモン諸島やパプアニューギニアなどについて、「日本ではどのようにこの歴史を習うの?」と聞かれました。アジア太平洋学部ですのでクラスにはその地域出身の学生もいたのですが、自分には本当に何も知識がなく、恥ずかしいような申し訳ないような気持ちになりました。
留学中に挑戦したこと
日本から楽器を持っていき、ANUの吹奏楽団に所属していました。留学中は日々慣れない外国語で生活していますが、音楽をしている間は言語の壁は生じません。合奏中はまるで同じ言語を共有しているかのように、伝えたいことを自由に表現でき、リフレッシュになりました。また、団経由で、大学主催のディナーでソロ演奏の機会をいただきました。中国人留学生に伴奏をお願いし、日本語以外の言語で話し合って曲を仕上げていくという難しくも貴重な体験ができました。ソロ演奏は日本でも未経験だったのですが、楽観的で、周りの人の挑戦をとにかく応援してくれるオーストラリアの雰囲気だからこそできた挑戦でした。
留学中の困難について
やはり一番の壁は英語でした。留学に行く半年ほど前から、語学要件突破のために一日5時間は英語に触れ耳をならしていたつもりでしたが、オーストラリアで実際に聞こえてきた英語はそれまで勉強してきたものとかなり違っていました。オーストラリア独特の語彙があったり、母音の読み方が異なっていたり、また、移民や留学生が多い国ですので、友達や教授が話していたのはニュージーランド英語、シングリッシュ、インド英語(しかも地域ごとに発音の傾向が違う)、フィジー英語、といったようなバリエーション豊かな英語でした。そんな中で、留学して1か月がたったころに、火災避難中に階段から落ちて脳震盪を起こしてしまうという事件がありました。頭が回らず、日本語すらも上手く出てこなかったのですが、近くにいたシンガポール出身の友達が、助けを呼んでくれ、生活状況や症状を細かく伝えてくれました。もし、シングリッシュが聞き取れないからといって普段からコミュニケーションを避けていたら、彼女は私の生活習慣を知らず、私は誰にも状況や症状を伝えられず、一人で1時間ほど脳震盪に耐えることになっていたのかと思うと、彼女には頭が上がりませんし、無理やりコミュニケーションに挑戦していて本当に良かったです。
それから何といっても、課題には本当に苦労しました。私は人類学、統計学、歴史学など様々な学部の授業を受けていたのですが、それぞれで好まれるエッセイのスタイルが異なっており、順応するまでに時間がかかってしまいました。1つのエッセイを書くまでに20本以上の参考文献を見つけて読まなければならず、普段のレポートよりむしろ卒業研究に近いのではと思ったこともあります。また、これらを毎週の250頁ほどある予習のリーディングと並行して進めなければなりませんでした。試行錯誤の末、自分のやり方を確立し、ルーブリックや前のエッセイのフィードバック、オフィスアワーなどを最大限に活用したところ、最初は60点前後だったエッセイが、90点にまで改善され、後期末の成績では最高評価であるHDをもらうこともできました。
今後に向けて
私は今回英語で開発援助や途上国の社会問題について学んだ経験を、将来の夢を実現する過程のファーストステップと考えています。私は以前から、途上国の社会問題の改善に携わりたいという目標を持っていました。留学前の主な関心地域は圧倒的にアフリカだったのですが、ANUで太平洋島嶼部が抱える脆弱性に目を向けたことで、太平洋への開発援助に携わることも視野に入れてみたくなりました。また、日本も環太平洋圏の一員であることを踏まえ、アジア太平洋学部の教授と日本の行っている開発援助について話すことができました。客観的な目で見た評価に触れられたのは良い経験だったと思いますし、自分が日本の機関で開発援助に携わる際には活かしていきたいです。
それから、私はこの夢の実現のために海外の大学院に正規留学するつもりでいます。今回の留学では自分の英語力と授業内容を確実に理解し、論を展開するのに必要な英語力の間に大きなギャップがあることを強く実感し、もどかしい思いをたくさんしました。これを、今後も引き続き英語力向上のために努力するモチベーションとしたいと思います。
最後に
私がオーストラリア留学を考え始めたきっかけは、中学1年次に地元の姉妹都市交流事業でオーストラリアを訪れた際にふいに感じた、「なんとなく、将来ここに住んでいる気がする」という思いをなんとなく抱き続けてきたことが根底にあります。大学で勉強していたり、将来のことを考えたりしていれば自ずと理由や目的は浮かんでくるので、直感で感じた「(この国に)留学にいきたい」という気持ちをぜひ尊重し、深堀りしてみてください。